【クールス】メンバー人数の移り変わり※結成当時から現在までとは!?







 

こんにちは・・・

今回はクールスのメンバー

人数に焦点をあてて

お届けしようと思います。

それではどうぞ・・・

時は1974年12月13日

舘ひろし率いるバイク好きな

連中が喫茶店に集まっていた。

緊張が走る。

舘ひろしが口を開く。

バイクチームを作る。

名前はクールス。

入りたいものはこの血判状に

血判してくれ。

差し出された血判状には

舘の直筆で規約が書かれていた

誰一人、微動だにしない。

そんな重い時の流れに

断ち切るものがいた。

岩城滉一が口を開く。

俺はこの規約に血判するぜ!

岩城は自分の人差し指を

ナイフで切って・・・

血判をした。

時間が流れていく・・・

一人、二人と血判した。

最後の一人が血判したときには

21人全員がしていた。

その後、この21人が一世風靡

疾風のごとく原宿界隈を席巻。

キャロルの解散コンサートの

護衛を引き受け・・・

マスメディアに出る礎を作る。

銀座NOWに特集で取り扱われ

ますます、人気に火が付く。

その後、東映のオファーが

岩城に来る。

その後、音楽バンドとしての

オファーが来る。

舘ひろしの苦渋の決断のもと

8人でCOOLSとして

音楽デビューを果たす。

この時、岩城滉一は一人

東映で俳優デビューをする。

一方、舘らは8人という人数で

キングレコードからデビュー。

もともと、音楽才能にたけた

ジェームス藤木を筆頭に

楽器ができるものを選抜。

そして、それが8人だった。

その後、COOLS絶頂期の中

舘ひろしとメンバーとの間に

亀裂が生じてくる。

何とか活動を続けるものの

その方向性が違うことを理由に

舘ひろしが脱退。

その後、クールスの名前も

変わることになる。

そして、ピッピこと水口晴幸

が脱退。

第3期クールスでは

横山剣が参加する。

その後、横山までも脱退。

そして、40年以上経過した

今現在でも活動中。

そのメンバーは3人。

佐藤秀光、村山一海・・・

そして、ジェームス藤木

3人である。

今後、クールスの人数は

3人から何人になるのだろう。

いかがだったでしょうか?

クールスの人数という

テーマでお届けしました。

舘ひろしさんも

岩城滉一さんも

孤高な人という感じですよね

あなたはどう思いますか?

小生が尊敬する

ジェームスさんも

そんな感じがします。

そう言われてみると・・・

秀光さんも、一海さんも?

そんな孤高の彼らが

40年以上活動している。

これ自体が奇跡なのかも

しれませんね。

 

 

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引用:copymarket