【クールス】COOLS&CAROLの違い※激動な青春とは!?







 

こんにちは・・・

今回は・・・

クールスとキャロルの違い

そして・・・

クールスの遍歴について

お届けしたいと思います。

なお、この記事は

あるクールスファンのブログを

参照しています。

それではどうぞ・・・

1974年東京原宿 

黒い革ジャンパーにリーゼント

黒い巨大なバイクを乗り回す

集団がいた。

彼らのチーム名はクールス

その集団のリーダーは舘ひろし

そしてサブリーダーは岩城滉一

似たような風貌の連中をあつめ

血判状での契りを結ばせた。

この血判状には舘ひろしの

独裁によるグループに

従属させるものであった。

リーダーが絶対ということ。

このことは・・・

メンバーとクールスの自伝本

原宿ブルースカイヘブンに

記載されいる。

つまり、キャロルとは違い

音楽バンドをめざしていた

訳ではなかったのである。

ただアメリカのヒッピー暴走族
 
ワイルドワンのような

ハーレーに跨る日本の 

ヘルスエンジェルスを

目指していたのである。

この時代は・・・

原宿は今ほど賑やかでなく

閑静な住宅街だった。

しかしこの閑静なところにある

黒の集団が現れて・・・

様相が変わっていった。

そもそも、業界人やカメラマン

などオシャレな大人が集まる

場所だったのですが・・・

クールスが集まると・・・

非常に目立ってマスコミから

たびたびインタビューを受けて

有名になっていったようである

そんな中・・・

ハーレーに乗っていた

岩城滉一が週刊誌の取材を

受けることになる。

そんな岩城を見て、東映が

彼をスカウトしたのだった。

そんな折、クールスは

キングレコードよりデビューの

誘いがあったのである。

そして、COOLSとして

デビューしたのである。

すでに、俳優として

デビューが決まっていた

岩城滉一は、バンドには

参加しなかった。

その後・・・

岩城滉一は違う道を

歩むようになっていた。

そしてまた、舘ひろしも

他のバンドメンバーとも、

折り合いが悪くなり、

クールスを2年弱で、

脱退となった。

しかし、時代はまだ

クールスを必要としていた。 

レコード会社が、

クールス解散後、間髪いれず、

クールスロカビリークラブと

改名し、ファーストアルバムを

出したのでした。

どちらかと言うと、

クールスは・・・

キャロルよりも、

カリスマ的存在であった。

クールスはステージ以外でも

リーゼントで決めていた。

音楽でもクールスには

不良的な音楽があった。

一貫して、黒のイメージで

バシット決めていた。

本当に格好よかった。

現在のチョッパースタイルを

日本に取り入れていた。

キャロルは、どことなく

甘い感じのメロディー

それに対し・・・

クールスは、リズムの

スピード感がとても良く、

バイオレンス的なルックスに

当時の暴走族全盛期の

昭和52年~55年あたりで、

中学・高校時代を過ごした

今の49歳~52歳位の

おじさんたちは、

正に、カリスマそのもの。

舘ひろしは脱退後

プレイボーイの取材で

ニューヨークに赴き

スエンジェルスの

取材もしている!!

いかがでしたか?

舘ひろしさんは

当時から・・・

ヘルスエンジェルに憧れて

いたんでしょうね~

カッコよさでは本物の

ヘルスエンジェルスに

負けていないカッコよさが

クールスにはあったと思う。

 

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引用:copymarket