【キャロル】矢沢永吉&ジョニー大倉の仲たがい※ I LOVE YOU ,OKをリリースとは!?







 

こんにちは・・・

今回はキャロルについて

お届けしたいと思います。

クールスが親衛隊を務めた

キャロルですが・・・

なんと活動を2年半だけしか

やっていません。

ちょっと書いておきますが

親衛隊をやったというのは

キャロルのラストライブだけで

日常的なものではありません。

その上、ラストコンサートでの

護衛を兼ねた警備というもので

一般通念上での親衛隊では

なかったということです。

キャロルといえば、矢沢永吉と

ジョニー大倉の才能がぶつか

解散の危機に直面していた。

その中で、二人はお互いの

方向性を探りあう。

結局・・・

方向性が違うということで

解散ということに。

その後・・・二人とも

ソロアルバムを出すことに。

今回は、矢沢永吉の

1975年(昭和50年)

9月にリリースされた

ソロデビューアルバム

「I LOVE YOU , OK」を

お届けしたいと思います。

I LOVE YOU ,OK 矢沢永吉

1975・9・21CBSソニー

<SIDE-A>

1・セクシーキャット

2・ウイスキーコーク 

3・キャロル

4・雨のハイウェイ 

5・キザな野郎 

6・ライフ イズ ヴェイン

<SIDE-B>

1・恋の列車はリバプール発 

2・安物の時計 

3・夏のフォトグラフ

4・奴はデビル 

5・サブウェイ特急 

6・I LOVE YOU ,OK

「もう1年やったら蔵が建つ」

キャロルというバンドで

まだまだ稼げると確信を

持っていた永ちゃんは

キャロル解散を望む

ジョニー大倉他メンバーを

説得することになるが・・・

ワンマンになり過ぎた

永ちゃんについて行けなく

なったメンバーは継続を拒否

もはや解散は免れないと

悟った永ちゃんはソロになる

決意を固める

解散が決定的になった頃

永ちゃんはソロ活動を

行う際にフォノグラムとの

間に起こりうる問題を

未然に防ぐため、

単身CBSソニーに行った。

幹部との話し合いの中で

自らのソロ活動を担保とした

金銭面、ビジネス面の

話をまとめている

1975年4月13日、

雨の日比谷野音で行われた

キャロルのラストライブを

終えた永ちゃんは単身

渡米してソロアルバムの

制作に取り掛かる

レコーディングは

ハリウッドのA&Mスタジオで

行われプロデュースは

トム・マック、

アレンジはマイク・メルボイン

ラインナップは全12曲で

作詞は相沢行夫7曲、

西岡恭蔵3曲

松本隆2曲で、

作曲は全て永ちゃん。

そうして出来上がった

アルバムは、

シングルカットされた

「I LOVE YOU ,OK」と

同タイトルの

「I LOVE YOU ,OK」だった

革の上下で黒尽くめだった

キャロル時代とうって変わって

I LOVE YOU ,OKの

アルバムジャケットの

永ちゃんはチェックの

ジャケットにジーンズという

カジュアルな出で立ちだった

アルバムジャケットの撮影は

渋谷のセンター街で

行われたそうで

使用されたカットは

ゲームセンター

「ゲームファンタジア」の

前で撮影された

永ちゃんが乘ってる車は

当時の永ちゃんの愛車

リンカーン・コンチネンタルだ

相沢行夫さんは、

永ちゃんがキャロル結成前に

組んでいたバンド

「YAMATO」のメンバーだった

木原敏雄さんと友人だった

後に彼らは「NOBODY」として

バンド活動を共にするように

なるのだが・・・

そんな縁もあって永ちゃんは

相沢さんに作詞を依頼した

CBSソニーに移籍後、

キャロル関係の人間から離れ

一切のスタッフを

総入れ替えし

制作費はキャロルで得た印税

全て注ぎ込み

「I LOVE YOU ,OK」は

完成したのだった。

奴はデビル/矢沢永吉 1975 

作詞・西岡恭蔵 

作曲・矢沢永吉

奴はデビル みんな知ってる

野郎なしじゃ生きられねえ 

ベイビー・フェイスの悪魔

ディスコの掟知らぬ田舎っぺ 

ウインクされりゃいちころさ 

ベッドでやってお寝んね

めしも喰わず夜も昼も

ずっと田舎っぺ

もうはなさない 三日たてば

奴も言うさ青い顔して

死ぬよベイビー

 I’m (down…) Ah

奴はデビル愛の訳など 

知っちゃいないさ 

野郎ならば誰でもいいさ

ベイビー・フェイス

小生は音楽評論家でもないし

音楽のプロでもないから、

あくまで私見という事になるが

このソロデビューアルバム

「I LOVE YOU ,OK」から

セカンドアルバム「A・DAY」

サードアルバム

「ドアを開けろ」までの

3作品で、一つの形を

成してると感じる

この3つのアルバムに

収録されてる曲の多くが

キャロルデビュー前や

キャロル時代に既に

永ちゃんによって

作曲されていた曲だから

そう感じるのかも知れない

キャロル時代の最後の

スタジオ録音アルバムになった

「キャロルファースト」は

各メンバーがそれぞれ曲を

持ち寄ったアルバムという事で

ある意味キャロルらしくない

とも言える・・・

そう思うのは小生だけだろうか

そのキャロルファースト以上に

キャロルの世界観を感じるのが

永ちゃんのソロデビューからの

3つのアルバムだと思う

まあ、作詞がジョニーじゃ

ないから詞の世界観は

微妙に違うと思いますがね~

こうして出来上がった

ソロデビューアルバム

「I LOVE YOU ,OK」だが

実はリリース直後は予想より

全然アルバムのセールスが

伸びなかった・・・

キャロルファンにしてみれば

キャロル時代に永ちゃんに

抱いていたバリバリの

ロックンロールという

イメージとかけ離れたように

感じ戸惑ったのだった。

この後、永ちゃんは

「演歌ロック」とも言われた

そんな大人のロックや

バラードに傾倒していく

永ちゃんにしてみれば

キャロルのイメージからの

脱却を図るつもりだったが

キャロルファンはすぐには、

その事を受け入れられなかった

という事だろう

恋の列車はリバプール発

矢沢永吉 1975 

作詞・相沢行夫 

作曲・矢沢永吉

切符はいらない

不思議な列車で

いじけた街を

出ようぜ俺と

つっぱり ジョンも

気どり屋 ポールも 

待ってる はずだよ

行こうぜ 急げ

恋の列車は リバプール発 

夢のレールは 二人で

書いて行こう

リッケン・バッカー

抱いて歌えば 

さびしい野郎も

つられて歌うぜ

恋の列車は リバプール発

夢のレールは

二人で書いて行こう

しらけた奴らが

追いかけたって 

特急列車は

つかまりゃしないぜ

1975年9月27日から全国ツアー

「E・YAZAWA AROUND JAPAN」

スタートしたのだった。

年が明けた1976年1月8日には

ソロとして初の東京公演

中野サンプラザでの

コンサートが行われた

キャロルを否定するような

曲構成に

ファーストツアーでの

評判は散々で

キャロルの矢沢に期待する

ファンが一気に離れた

キャロル時代はリーゼントに

革ジャンでベースギターを

弾きながらケツを振り振り

ロックンロールをやってた

永ちゃんは髪を下ろしラメの

衣装を着ていた

極端に不入りだった

佐世保公演でのエピソードは

「リメンバー・佐世保」として

語り草のように今でも

永ちゃんの口からよく語られる

I LOVE YOU ,OK/

矢沢永吉 1975 

作詞・相沢行夫 

作曲・矢沢永吉

I love you,OK この世界に

 たった一人のおまえに 

俺の愛のすべてを捧げる

抱きしめればせつなくなる

俺のこの腕でいつも

幸せにしたい

I love you,OK 振り返れば 

長くつらい道も 

お前だけをささえに歩いた

窓辺にともる灯りのように 

俺のこの胸にいつも

お前が燃えてる

求め合って生きていたい 

この世界のすべてが

闇に消えても

I love you,OK 見つめ合えば 

ただそれだけで解る

誓い合った言葉は

I love you

今では

「I LOVE YOU ,OK」は

永ちゃんの代表曲だ。

その他の曲で言うと

シングル

「I LOVE YOU ,OK」の

カップリングになってる

B面の「セクシーキャット」

「ウイスキーコーク」

「サブウェイ特急」は

キャロル時代の矢沢の

進化系とも言える

名曲だと思う

「ライフ・イズ・ヴェイン」は

バイク事故で17歳で

亡くなった親友を思い出す曲で

個人的な思い入れも深い

「キャロル」は決して解散を

望まなかった永ちゃんの

心情を歌った心に沁みる名曲

だと思っている。

アルバム

「I LOVE YOU ,OK」は

日本のロックンロール史上で

新しいジャンルを確立した

最高のアルバムだと思う。

いかがでしたか?

個人的な考えで

曲を裁定しましたが

曲に対する感じ方は

人それぞれですからね~

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引用:copymarket