【COOLS】1975年キャロル解散コンサート※フォークソング全盛期にリーゼント・黒の革ジャンで挑んだクールスとは!?







 

こんにちは・・・

今回はクールスと1975年に

フォーカスしてお届けします。

ここではこの年の背景と

キャロルの解散ライブが

クローズアップされます。

それではどうぞ・・・

1975年4月、

日比谷野音で行われた

キャロルの解散ライブでの、

キャロル先導と会場警備姿が、

その約3ヶ月後にTV放映され

(TBS「ギンザNOW」特番)、

一躍有名になったバイクチーム

「クールス」。

そのTV放映が最高の

プロモーション映像になった

そして、TV放映から

僅か約2ヶ月後には、

バイクチーム「クールス」の

中から選ばれたメンバーで、

バンド「COOLS」として

レコードデビューしてる。

このあまりの期間の短い

音楽デビューの経緯が、

長年謎だったのですが、

2013年、クールスの

リーダーでありドラマーの

佐藤秀光氏が、

F1レーサー片山右京氏が

メインキャスターをやってる

ローカル番組で、

その経緯を話されていて、

私的に長年の謎が解けました。

佐藤秀光氏によれば、

事の起こりは

キャロル解散ライブ後の

「打ち上げ」の場。

キャロルのジョニー大倉氏と

クールスのジェームス藤木氏が

ギターでセッションを

やっていた所、

佐藤秀光氏がドラムで

そこに加わったのを、

矢沢永吉氏や

音楽業界関係者がみて、

そのままバンド結成、

レコードデビューになったと

いうのですから、まあ、

クールスはキャロルより更に

「シンデレラボーイ」だった

かも知れませんね。

ジョニー大倉氏の著書に

書かれているように、

実際にキャロルの

レコードが売れまくるのは

解散してからで、

それはやはり

「ギンザNOW」特番で、

例の解散ライブが

TV放映されたのが原因でした。

キャロルが本当に不良や

暴走族に抜群の人気を

得るのは、皮肉な事に

解散してから。

キャロルの現役時代、

不良の支持層も地方には

いたようですが、わりと

東京の不良やチームの連中は

ソウルフリークが多かったので

R&Rのキャロルには冷ややかで

キャロルは業界筋含め

長髪&ベルボトム系の

ニューロックやフォークの

人達に支持されており、

又、映像で日比谷野音の

解散ライブの客席を観ても、

わりと子供や普通の人が多く、

その後のソロになった

矢沢永吉氏の

暴走族の集会みたいな

ライブの客層とは、

相当!違うのがはっきり

わかります。

そして、ステージ上では

歌い演奏するキャロルの

4人だけではなく、色々な

「業界関係者」が

所狭しと入り乱れており、

会場警備をしていた

クールス以外、

その「関係者」は

殆ど長髪&ベルボトム。

黒の革ジャンに

ダックテイルのリーゼントは

クールスだけだった!、

如何に目立っていたか、

誰でもわかるでしょう。

これがあと2、3年後の、

矢沢永吉氏の

ソロライブになると、

客席のファン層は、

殆どが不良と暴走族に

なるわけで、このへん

矢沢永吉氏もかなり当時は

苦悩していたようです。

この時代は吉田拓郎、

井上陽水、かぐや姫

小椋佳などに代表される

フォークが主流でした。

彼らの風貌はヒッピーのような

挑発にベルボトムのジーパン。

彼らは巨大マーケットを

開拓したわけですが

それにも負けないくらいの

当時としては異彩を放っていた

クールス。。。

想像してみてください

長髪にベルボトムの中に

ポマードべっとりのリーゼント

そして、黒の革ジャンですよ。

目立たないわけがありません。

当時の時代背景、

当時の若者達と照らし合わせて

はじめて、クールスの異端さが

わかるんです。

何事も「対象物」がないと、

ソレの特異性はわかりずらい

ものですから。

いかがでしたか?

1975年という年は強烈に

印象に残っています。

小生は当時高校生でした。

親に嘘言ってライブを見に

行ったのでした。

青天の霹靂でした。

舘ひろしさんがインタビューを

していた実際の声なども

聴くことができたて感無量。

一生の思い出です。

 

 

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