【クールス・ドゥワップ】舘ひろし・COOLS脱退後※山下達郎プロデュース・「NEW YORK CITY N.Y.」とは!?







 

こんにちは・・・

今回はドゥ・ワップについて

触れていきたいと思います。

以前、ジェームス藤木さんを

取り上げた時にちょっとお話

したと思いますが

それではどうぞ・・・

日本で「ドゥ・ワップ」という

言葉をお茶の間に迄浸透させ、

一般的にさせたのは、

1980年「ランナウェイ」を

ヒットさせたシャネルズだと

紹介しましたね。

シャネルズはその名の通り、

アメリカのR&R

リバイバルバンド

「シャナナ」と、

ドゥ・ワップグループ

「ザ・チャンネルズ」を

かけた合わせて名前を

つけています。

1975年にデビューした

クールスは日本で初めて

フロントのボーカル数人

バックの演奏人の

「シャナナスタイル」で

鮮烈デビューしました。

ということで・・・

シャネルズよりクールスの方が

早いのではないかと?

まあ、クールスは1975年4月の

キャロルの日比谷野音の

解散ライブでの、

キャロル先導や会場警備ぶりの

映像が数ヶ月後にTBSの

「ギンザNOW」特番で放映され、

一躍!有名になった、

バイク愛好家集団、

バイカーだった為、

バンドデビュー後も、

ちょっと軽んじられてる

所もあり、又、その独特の

風貌とライフワーク、

人生観に抵抗のある層も、

当時は多かったので、

正当に「音楽」を

評価される風潮が、

1970年代後半、

1980年代前半は、

なかったに等しいと

思います。

又、クールスが最もTVの

露出が激しかったのが

主に「ギンザNOW」ですが、

舘ひろし氏在籍時だった為、

クールスの印象がこの当時の

まま年を重ねてる方も多く、

映画やマスコミに出たい

舘ひろし氏と、

純粋に音楽だけをやりたい

他のメンバーとのギャップが

生じ、リーダーだった

舘ひろし氏は1977年には

クールスを脱退しました。

長い歴史のあるクールスに

舘ひろし氏が在籍していたのは

僅かに1年半強だけ。

舘ひろし氏の抜けたクールスは

思惑通りマスメディアの露出が

減った為、1979年にアメリカで

録音されたアルバム

「NEW YORK CITY N.Y.」と、

このアルバムのプロデュースは

山下達郎氏だったという歴史、

コアなクールスファン以外、

「舘ひろしクールス」は

知っていても、

案外知らない年配の方が多く、

何時の時代もそうですが、

TV、地上波の大衆に与える

影響力というのは、

凄まじいものだと

痛感いたします。

当時はプロデュースした

山下達郎氏も、

コアなファン達には

絶大なる支持を得ていた。

しかし、一般的には

それほど知名度があった

訳ではなかったのです。

マクセルのカセットテープ

でのCMで使われ大ヒットし、

一般的に山下達郎氏が

知られるきっかけになった

ライド・オン・タイムです。

なので・・・

その当時はそれほど

取り上げられていませんでした

引用:copymarket
画像出典:copymarket