【クールス】COOLSサブリーダー岩城滉一・新幹線大爆破で映画デビュー※舘ひろし&水口晴幸(ピッピ)は!?







 

 

こんにちは・・・

今回はクールスサブリーダー

岩城滉一さんに焦点を当て

お話ししたいと思います。

それではどうぞ

岩城滉一さんは、

デビュー前は、

舘ひろしと原宿を拠点に

「クールス」で副団長を

していました。

とある飲食店で食事をしていた

岩城滉一さんに舘ひろしさんが

歩み寄り、

身構えた岩城滉一さんに

「あのバイク、君の?」と

話しかけ、

バイクの話題で意気投合した

のがきっかけとされています。

当時の舘ひろしさんは

バイクの免許を持っておらず、

岩城に勧められて

岩城のバイクに二人乗りして

教習所に通ったそうです。

東京原宿において

1974年12月、

舘ひろしさんをリーダーに、

岩城滉一さんをサブリーダーに

および岩城滉一さんの

学生時代からの友人であった

佐藤秀光さんらで結成された

モーターサイクルチームが

原点となります。

結成に際して

「このチームはリーダー
(舘ひろし)の独裁により
運営される」

という血判状を作成したと

いわれています。

舘ひろしさんはカワサキの

ZIIに乗っていました。

チーム結成当時の人数は21人で

全員リーゼント・

黒の革ジャンパー・

黒または青のジーンズ・

黒のオートバイで統一される

(「黒」にこだわったのは、
舘ひろしさんが学生時代に、

ラグビー部の主将をしていて、
「オールブラックス」が
好きだったから)。

結成からすでに40年以上

経っていますが、

音楽性やファッションなど

一貫して変わらず活動を

続けているようです。

元メンバーに舘ひろしさん、

岩城滉一さん、水口晴幸さん

(ピッピ、PITPI)、

横山剣さんなど有名芸能人を

輩出しています。

BUCK-TICK、

藤井フミヤさんなど、

その影響を受けた

ミュージシャンは数多いです。

当初は、そのファッションや

成り立ちから「不良」を

売り物にしていました。

バンド結成当初は

コンサート会場にファンの

暴走族が集結したり、

その他のファン層も

不良少年が多かったです。

そして、翌年の

1975年には、

矢沢永吉さんが、

舘ひろしさんに、

ライブの演出として、

「クールス」の参加を

依頼したことから、

「クールス」は、

矢沢永吉さん率いるバンド、

「キャロル」の

解散コンサートで、

親衛隊を務めると、

この解散コンサートを収録した

DVDには、岩城滉一さんが

「キャロル」との思い出を

語るシーンや、

「クールス」の走行シーン

などが収録され、

「クールス」は、

芸能人ではないにもかかわらず

一躍、脚光を浴びたのでした。

キャロル解散コンサートの

DVDビデオでは、

当時の岩城滉一さんが

キャロルとの出会いを

語っています。

この活動によりクールスは

一躍脚光を浴びました。

なお「クールスは
キャロルの親衛隊」

でありましたが、

個々の交友や接触はあったが

両者は対等な関係であり、

また当時はあくまで

ロックバンドとそれを支持する

バイクチームの

関係でありました。

よって「クールスは
キャロルの弟分バンド」

「矢沢永吉は
舘ひろしの兄貴分」

という認識は誤りであり、

またその後のクールスの

音楽性もキャロルとは

異なるものでありました。

当初、舘ひろしさんは

バンド結成については

否定的でありましたが、

熱心なキングレコードの

若手社員に説得され、

「チームのメンバーを
食べさせていくため。」

として、バンド結成を

決意しました。

キャロル解散後の

1975年9月、

チームの中から選抜された

7名とバンド結成から

参加の大久保喜市の計8名で、

アメリカンロックン
ロールバンド

「クールス(COOLS)」として

シングル「紫のハイウェイ」で

デビューします。


引用:copymarket
画像出典:copymarket